こんにちは。有川翠雲です。
「弘法筆を選ばず」「弘法にも筆の誤り」の「弘法」とは誰のことでしょう?
ご存知のとおり真言宗の開祖「弘法大師空海」のことですね。
空海さんは遣唐使として「唐」に渡り、帰朝後真言宗を開いただけでなく、日本書道史においても超人的な存在です。
空海さんの真筆(本人の筆跡)としてもっとも有名なのは『風信帖』でしょう。
空海さんが最澄さんにあてた書状をまとめて、一通目の冒頭から『風信帖』の名がついています。臨書された方も多いと思いますが、私も1字目の「風」という字は大好きです。
空海さんには「五筆和尚」(ごひつわじょう)という別名もあります。空海さんがいかに能筆(書の達人)であったかよく分かるエピソードを紹介します。
唐の宮中には三間の壁があり、そこに晋の王義之の書があったのですが、歳月がたって風化したため、二間の壁を修理しました。
ところがそこに書をしたためる人は、おそれ多くて誰もありませんでした。唐帝は適任者を探しました。
日本の僧に書をかくようにと勅令をだし、空海さんが筆をとることになったのです。
空海さんは右手と左手に一本ずつ筆を持ち、右足と左足の指に一本ずつ筆をはさみ、口に一本の筆をくわえ、五箇所に五行の書を同時に書いたといいます。もう一間では、墨を口にいれて吹きつけると、壁一面に樹という字が現れたとされています。
唐帝以下その場にいた人たちはみんな驚いてしまいました。そこで唐帝は、空海さんに五筆和尚という名を賜った、ということです。
五筆とは、五つの書体に巧みであったからともいわれています。
また後に嵯峨天皇が空海さんの書を御筆としてたいへん貴び、世間一般でも空海さんの書を御筆と呼んだところから、五筆となったという説もあります。
いづれにしても、空海さんの評価が最高の物であったことがよくわかるエピソードですね。
書の世界って面白いですね。